Category Archive: MARANTZ

May 14

マランツにお邪魔する

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朝一番の試聴はマランツから。 ↑マランツからSA14 30年記念スペシャルエディション。 各2000ポンド。 心地よく聴かせてくれました。特に低音が素晴らしい。落ち着いていて、且つパワフル。体に響いできます。 高音も透き通る声も綺麗に聴こえ、このまま寝てしまいたいくらい。 ごちそうさまでした。

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Jun 14

MARANTZ – 60年前の今日から始まった 3

1964年にスーパースコープに初めて経営が変わりました。その後、何度か経営が変わり、1980年にはマランツJAPANが50%の株をスーパースコープから買取り、トレードマークとマーケティングの権利(アメリカとカナダ以外)はオランダのフィリップスに渡りました。 当時、フィリップス・アメリカは5番目のブランドー既にSylvania, Philco, Philips と Magnavoxを抱えていたからです。 パイオニアでテクニカルコーディネーターだった石渡健氏は1978年にマランツにヘッドハンティングされ、マランツ・ヨーロッパに渡りました。 その後、彼は日本に3ヶ月ほど派遣され、マランツのやり方を学びました。 2年後、彼はプロダクトデベロップメントマネージャーとしてアポイントされました。 過去35年間、石渡氏とマランツは深くつながっています。 彼はフィッィプスだった時の最初のCDプレーヤー(上写真CDー63)からかかわっているのです。 それと、彼は70年代にSaul Marantzから連絡を受け、彼が石渡氏に”私はモノやステレオLPをできる限りやった。今からは、君の場んだ。コンパクトディスクで何かやってくれ”。   続く・・・   参照元:WhatHiFi Blog (許可を取って写真などを掲載させていただいています。)

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Jun 13

MARANTZ – 60年前の今日から始まった 2

marantz_model2600_receiver

前回の続き。 1965年には最初のソリッドステートのプレアンプであるモデル7T。そして翌年にモデル15のステレオパワーアンプ、それから1968年にはレシーバーモデル18が595ドルで発売されました。 モデル20はソリッドステートでFMチューナーがビルドインされており、オシロスコープももちろん付けてあり、且つGyro Touch flywheel tuning controlがあり、それはまるでモデル10Bを進化させたようでした。 レシーバー製品の世界はは競争が激しかったのにも関わらず、マランツは2600(写真上)や2275には、その外見の堅さと製品の信頼性には自信を持っていました。 この広告でそれを証明させています。 (ざっと翻訳すると)一階から火が出て、その火が3階まで行ってしまったとき、このマランツの2270は2階にあった。そのあと、家が崩れそれと消化の水で3月まで水浸しだった。そのあと、解体車が来てがれきや木を片付けていたとき、このマランツ2270が埋まっているのに気づき、それを家まで持っていった。その後、電気プラグを差し込んだら、青いランプが付き、ヘッドフォンを接続したらFMラジオを完璧に聴く事が出来た。 これは、ユーザーの一人が実際にあった経験をマランツに手紙でお知らせしたもので、その事を広告にしたもので、いかにマランツのこの製品が頑丈で信頼性が高かったのかを証明しました。 続く・・ 参照元:WhatHiFi Blog (許可を取って写真などを掲載させていただいています。)        

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Jun 12

MARANTZ – 60年前の今日から始まった1

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MARANTZ、HiFiとホームシネマで有名なこの会社は60年前、アマチュアのミュージシャンであり、写真家でもあるSaul B Marantzが、自分ならもっとよいHiFi製品を作る事が出来ると信じて始めました。 1911年、ニューヨークのブルックリンに生まれたマランツは、第二次世界大戦中に兵役を終えた後、オーディオ機器を作り始めます。 ニューヨーク郊外のキューガーデンに移り住んだ彼は、自分の1940年代の車に付けられているラジオを改良する為に、それを取り外して部屋に持ち込みます。 ラジオの改良を行いながら、いくつかのエレクトロニックスを加えたりした4年後に、高品質のプレアンプであるオーディオ・コンソレートの元になるデザインへと発展していきます。 最初の世代のLPが1948年に発表された当時は、録音のプロセスが標準化されてませんでした。 録音されたレコード会社によって録音の仕方が違い、それ故に、よい音を出すにはそれぞれの異なる設定が必要でした。当時はコロンビアの33.3rpmとRCAのビクターによる45rpmからのフォーマット争いが行われていました。 1952年、プレアンプの天才的なデザインがマランツによってなされ、どんなフォーマットでも再生出来るオーディオ・コンソレートと名付けたプレアンプが100台生産され、153ドルで発売されます。 製品は家の地下室で生産され、それが好評であったため、100台では足りず、後に400台もの受注が切る事になります。 当然ながら、マランツは1953年に会社名マランツを立ち上げます。そして1954年にはモデル1プレアンプ、工場で生産されたオーディオ・コンソールを150ドルで売りました。 当時は家具の一部として購入されるのが当たり前で、もちろんモデル1も20〜30ドル追加すると、キャビネットの一部として購入されました。 この時から、後にパワーアンプのチーフエンジニアとなるSidney Smith(シドニー・スミス)がマランツにエンジニアとして入ります。そして彼はマランツの音楽のパフォマンスにおける情熱を分かち合う事になります。 モデル1の後のモデル2は200ドル前後で売られます。 このモデル2は40 ワットの五極管モードから20ワットの三極管モードに切り替えることができます。 そして1958年にはModel 2に比べてパワーでは劣りますが、マルチアンプリファイアーシステムを使用したモデル5が発売されます。 同年に12月、モデル7が発売されます。249ドルでキャビネット無しで販売されました。そしてその後でモデル8が237ドルで発売されました。 アンプはどんどん進化し、1961年にはモデル8Bが登場します。このモデルは前年に発表されたモデル9、最大70ワットのアウトプットを再現する、をサーキットベースに5ワット増加されました。 (上の写真はモデル9) モデル9はパワーアンプのフロントパネルにも注目されました。このスタイルは2013年の同社の製品にも見られます。 1961年にはRichard Sequerraがメンバーに加わり、マランツとスミスとともに、会社で初めてのFMステレオラジオが同年、アメリカにて誕生します。 1962年にはモデル10の試作品にチューニングやマルチパスがオシロスコープ管のディスプレイにて表示され、翌年にはモデル10Bが発表され完成されたオシロスコープが搭載されました。 値段は650ドル。当時にしては高価ですが、マランツがチューナー開発に投資した3年以上もの期間と投資額はまかないきれませんでした。ちなみに100個以下しか制作されていません。 このチューナー開発は会社のコストそのものだと言われています。モデル10Bが750ドルで販売されても、追加100ドルの費用が発生したためです。つまり一つ制作するたびに100ドル消えていく訳です。 後にマランツがこう述べています。70年代に彼が日本に来たとき、中古のモデル10Bがなんと3700ドルで売られていたのです。しかもその後、彼が聞いた話によると、値段はもっと上がり、10,000ドルにも高騰したそう。 このモデル10Bは1000個生産されましたが、前述でも言ったように、一つ生産されてばそれだけ損失が出る製品だったため、会社は危うく倒産しかけます。 それに手を差し伸べたのがSuperscope。Superscopeがマランツを買い取ります。 後でマランツは、「会社は潰れかけていた、私たちは続けていく為の方法を捜していた」と語っています。 1964年にSuperscopeが会社を引き継いだ後、本社はニューヨークからカリフォルニアに移動しました。 1966年にはマランツの製品は日本でパートナーを結んでいるスタンダート ラジオで製作され、後のこの会社はマランツ ジャパンになります。 1968年に創始者のマランツ氏は社長を引退しましたが、会社の名前はマランツのままでした。   次回に続く・・・   参照元:WhatHiFi Blog (許可を取って写真などを掲載させていただいています。)    

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